世田谷キャンパスにある先覚者墓所には、国士舘の創立と発展に貢献した、創立者柴田德次郎、長瀬鳳輔、阿部秀助、高木波次郎、柴田梵天の5名を祀っています。
平成21(2009)年に国士舘創立100周年記念事業の一環として墓所の全面改修?整備を実施し、令和3(2021)年に再整備を行いました。
国士舘では、これらの先覚者の事績を称えて、毎年、創立者柴田德次郎の祥月命日にあたる1月26日に、墓前法要を行っています。
創立者 柴田 德次郎(しばた とくじろう)
明治23(1890)年12月-昭和48(1973)年1月
福岡県生まれ。15歳で上京後、牛乳配達などでの苦学の末に、早稲田大学専門部を卒業。在学時から同郷の頭山満、野田卯太郎など各界名士の知遇を得て、大正2年に有志らと青年大民団を結成し、社会改良を目指した。この活動の中から大正6年、弱冠26歳で真の青年教育を目的として私塾「国士館」を創立する。以後、中学校?専門学校などを設けて多くの青少年に教育の門戸を開き、国士舘の礎を築いた。戦後は、新制中学校?高等学校?短期大学?大学?大学院の創設とともに、理事長?大学長?短大学長など学園の要職を歴任して、総合学園化に尽力した。生涯にわたって国士舘の発展に多大な功績を残し、真の人材育成に努めた。『頭山翁清話』、『国士舘と教育』ほか編著多数。
昭和48年1月26日死去、行年83歳。正四位勲二等瑞宝章。経済学博士。同年2月3日に国士舘学園葬。なお鎌倉?円覚寺塔頭黄梅院、福岡?那珂川市の生誕地にも柴田家の墓所がある。

高木 波次郎(たかぎ なみじろう)
明治11(1878)年7月-大正13(1924)年12月
福岡県生まれ。創立者柴田德次郎実兄。明治38年頃から上京した柴田德次郎を赤坂の自宅に寄宿させるなど、その苦学時代を支えた。大正2年に国士舘の母体となる青年大民団が結成されるとこれに加わり、柴田德次郎ら青年同志たちと活動をともにした。その後も国士舘の創立に奔走する柴田德次郎の活動を支えたほか、国士舘が世田谷に移転した大正8年以降は、寄宿舎生活における高等部学生の指導にあたった。
大正13年12月11日死去、行年47歳。大正15年の創立10周年記念行事では、その功績をたたえて先覚者に名を連ねた。
長瀬 鳳輔(ながせ ほうすけ)
慶応元(1865)年10月-大正15(1926)年7月
現岡山県生まれ。東京外国語学校、東京帝国大学予備門で学び、明治18年米国に留学、同21年ドイツに留学して哲学博士を取得。帰国後、山口高等学校教授、同29年陸軍大学教授、同39年陸軍参謀本部編修官などを歴任し、欧州をはじめとした国際情勢に精通する権威となる。
大正6年の国士舘創立後、教え子の阿部秀助の仲介で講師となり、同8年には理事および高等部学長、同12年中等部学長、同14年中学校長を歴任し、草創期における教学面の中核を担った。同8年11月の落成式での演説「国士館の趣旨及本領」では、欧米主義の風潮を批判し、日本古来の伝統や精神を重視する国士舘教育の理念?目的を説いた。
『奈翁全伝』、『世界各国興亡表』ほか著書?訳書多数。
大正15年7月7日死去、行年62歳。哲学博士。同年7月8日国士舘葬。

阿部 秀助(あべ ひですけ)
明治9(1876)年7月-大正14(1925)年1月
福岡県生まれ。上京して東京帝国大学を卒業後、明治40年から慶應義塾大学部で講座を担当、後に同大教授となる。同43年にドイツ留学し、帰国後はドイツ歴史学を研究。大正6年の国士舘創立時には、私塾「国士館」の塾長として教鞭を執る。同8年に理事および高等部教授として「欧州文明」や「哲学」などの講義を担当した。国士舘草創期における名教授と謳われ、大講堂内で講義する姿が写真に残るほどであった。なお妻は、お雇い外国人として東京帝国大学で歴史学を教えたドイツ人ルートヴィヒ?リースの娘である。『総合経済地理』、『日本史要解』、『最近独逸経済学説』など著書?訳書多数。
大正14年1月3日死去、行年50歳。同年1月国士舘葬。息子の阿部秀夫も、昭和30年初頭から国士舘大学教授として総合学園化に貢献、親子二代で国士舘発展に尽力した。

柴田 梵天(しばた ぼんてん)
大正6(1917)年6月-平成24(2012)年10月
現東京都生まれ。創立者柴田德次郎の長男。国士舘中学校を卒業後、早稲田大学で学び、昭和16年に国士舘中学校教諭、同17年専門学校教授、同18年理事となる。戦後、戦災で校舎を失った国士舘苦難の時代には、若くして理事代表?校長として学園の運営を一手に担った。
同35年米国留学後、副学長に就任。同48年から理事長?大学長など学園の要職を兼ねる総長として、世田谷をはじめ鶴川、小野路?多摩、太宰府の各キャンパスの拡張?整備と教育環境の充実を図ったほか、海外にも武道普及事業を推進して国際化への端緒を開くなど、学園の進展に資した。同59年に国士舘を表徴する舘長に就いた。
平成24年10月14日死去、行年95歳。経済学博士。令和3年1月墓所に奉祀。なお鎌倉?円覚寺塔頭黄梅院の柴田家墓所に永眠。
